2010年1月8日金曜日

自分の気持ち、感覚を、一歩はなれてとらえる効果を実感 I felt the great effect of observing my mood or feeling as a third person. 作为第三者把握自己的情绪或感觉是非常有效的

自分の気持ち、感覚を、一歩はなれてとらえる効果を実感できるようになってきています。こんなことは、できる人には、幼少のころからできるのかもしれません。しかし、私は、自分のいやな気分や、恐れや、感覚にそのままふりまわされて、生きてきて、たとえば、ささいなことで、不幸な気持ちになったり、モノを食べだすと、とめるのがとても


難しかったりするという人間です。ようやく好転のきざしが見えてきました。古来、いろいろな人が勧めてきた、自分を客観視せよ、気持ち、感覚、気持ちをふくめて一切は、実態はないんだ、といったことは、すぐにはできないが、練習すると、少しずつできるようになるもんですね。昨晩は、東京・飯田橋まで、往復3時間あまり、普通の家庭用自転車(ママチャリ)をこぎましたが、体調がいまひとつで、疲れていました。変速機もない自転車で、疲れた体に、ときどきある上り坂をあがるのはきついのですが、きついという感覚を


客観視して「きついという情報が体からきてるなぁ、それはそれとして、まだいけそうだなぁ」と考えると、たいした苦痛も感じずに、すいすいと帰ってくることができました。「自分が死ぬときも、完全には無理だろうが、これをもっと練習して、楽に死にたいなぁ」と考えていた、臆病な私でした。






Many great people in the history preached about the great effect of observing one's own mood or feeling as a third person. I had not had such practice at all until recently, and had not been able to practice even after I learned this. However, yesterday, I did something like this


when I rode a bike for more than three hours and very tired. I could care less about my tire. I felt the great effect of observing my mood or feeling as a third person.






历史上的很多名人说过作为第三者把握自己的情绪或感觉是非常有效的。直到最近我根本没能养成这种习惯。但,昨天,我很累地骑三小时的自行车的时候,


我试试了这种想法,结果相当有效。我对疲劳无所谓而能轻松的骑了车。

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