2014年4月4日金曜日

コストのいらないすてきな「ペット」 A nice "pet bird" of no cost 不须费用的好宠物



鳥かごがいらないうちの「ペット」というか、「おともだち」のヒヨドリです。タダでたのしませてもらっています。本来ならゴミになってしまう、あるいは、コンポスターで菌に食べてもらうはずだった、食卓からこぼれおちる食べもののかけらを、たべながらこちらを楽しませてくれます。でも、もうすぐさよならです。あったかくなって、簡単にエサが見つかるようになるから。

This is our "pet" or friend, bulbul.  We only need to feed it with food crumbs from our dining table, so no cost about it and it can reduce our waste going to the composter as well.  But soon it will not come for a while because it will get warmer soon and it will be finding foods everywhere.

这个夜莺是我的不须费用的好宠物。我只要给它食品屑。就是废弃食品的利用。但是,不久它要告别,应为,气候暖和点,它就会容易找到许多食物。

2014年1月19日日曜日

マインドフルネス Mindfulness 正念

 このことばを知りませんでした。家族が掃除で出てきたと言われた私が切り抜いた新聞広告にありました。ネットでしらべると、「ああ自分はいまキレている。」「今疲れている」とか、自分を客観視する気づきのようなものですね。仏教のことばで、心理療法でも使われるとのこと。私はなかなかこれが不得手で、自分を見失うことがおおく生きてきました。しかし、少しずつ意識して自分を客観視すると、ラクになる。昨晩とか、「ああ、自分は疲れている。だから、仕事をしようとすると、つらいから、何かを貪り食いたくなるんだな。」と、寝ることができました。やっとできたんです。こんなことも、多くの人にとっては、あたりまえのようにできるのでしょうが。 いつも自分の主(ぬし)となっているというのはかんたんではないです。(笑)
 I did not know this word.  I found this word on an ad of a book I scrapped long time ago.  I looked up this word on Wikipedia.  This concept is very important for me especially lately.  It really helps to view myself objectively.  It shoul.d be easy for many people.  But it has not been easy for me for a long time to recognize that I am blowing up, tired, frustrated etc.   Finally these days, I became able to "sometimes" recognize myself is tired and frustrated and trying to erase the feeling by overeating.  It is not really easy for me to be a governor of myself.  :-)
  我没知道这个词。今天我家人给我了我以前剪下来的报纸上的一本书的广告。这本书的题目是“正念”。经过在网上的学习我了解到这是佛教以及心理学的用语。我想到“随処作主、立処皆真”是我座右铭因为我常常忘记客观地观察自己而避免作个自己感情的奴隶。比如最近我才发现自己晚上想吃很多就是因为我觉得应该继续工作的同时其实经常没了解到自己身体很疲劳。我这年纪才发现这事。(笑)






2012年10月27日土曜日

「土、自分、社会とつながることが幸せへの道」と、サティシュ・クマールさん ”The road to happiness is connecting to soul, self, and society." Satish Kumar says. 薩提斯·庫瑪说”和大地,自己,社会连在一起就是到达幸福之路。“

 わが家は、小さな家で庭もないが、少しだけ、地面がある。これは幸運なことだ。とても大切だと思っている。コンポスター(生ごみ堆肥化のためのフタ付きさかさバケツ)のある土のあたりに流してしまう。最近、台所で洗いものをするとき、石けんがまじっていなければ、コンポスターのある土のあたりに流してしまう。石けんがまじっていれば、分解に時間がかかりそうだから、コンポスターがない地面に流してしまう。大地に住む細菌たちがよごれた水を吸い込み分解してくれる。下水道システムで電気を使って汚水を運び、そして、エネルギーや資源を使って浄化する必要がないのだ、なにか嬉しいと思う。環境オタクですから。でも、いつもそうはいかない。余裕がなくて、下水にありがたく流させてもらうことのほうが多い。それから、せまい地面なのに、ここにはカエルも住んでいる。(写真)もう10年以上は住んでいる。むかし畑や池がまわりにあったころに生まれたのだと思う。もう子孫を残すことはできないだろう。ヤモリや、かべちょろ(トカゲのような恰好をしているシマヘビ)もいる。
 こういう土とのつながりは、大事だということとつながるのが「ナマケモノ倶楽部」世話人の辻信一さんが書いた本『幸せって、なんだっけ』のなかに紹介されていたサティシュ・クマールさんの言葉だ。一度、講演会で握手もさせていもらった、私も敬愛するインドの宗教家は、若いときにガンジーの教えに感銘を受けて、核兵器の廃絶を求めて世界中を歩く巡礼の旅をした人である。E・F・シューマッハーとともにエコロジーと平和の雑誌「リサージェンス」を発行し、彼の死後は、シューマッハーカレッジという教育機関などを設立した人である。[1]そのサティシュ・クマールさんが2007年に来日した際の話(私も聞いていたはずだが)がこの本『幸せって、なんだっけ』の中に紹介されているなかに、土とのつながりの大切さを示すことばがあった。3つのSの中にこそ、本当の豊かさがあるという。「いや、この世のすべての豊かさがそれらの中にあると言ってもいい。そしてこの3つとつながることこそが、幸せへの道です。『ソイル、つまり地球とつながる』、『ソウル、つまり自分とつながる』、『ソサエティ、人々とつながる』。こう言い換えてもいい。『ソイル、つまり地球を大切にする』、『ソウル、自分を大切にする』、『ソサエティ、人々を大切にする』。この3つは実は同じことの3つの側面にすぎません。」[2] ただし、大切にしようと思って、ホイホイと、誰しも、大切にできるものではないのではないか。とくにとてもつらい目にあってきた人ほど、難しいのではないか。できるようになるためには、3つとも、それぞれを肯定できるようになるための、なんらかのトレーニングが必要になる気がする。私も「肯定する習慣」をつけるために、座禅のまねごとをして肯定・幸せを意識的に感じようとしてみたり、していて、まだまだうまくいかないが、すこーしずつ前進しているかなもしれない。
 土とつながるのに、自宅に土がないといけないわけでもない。土があるところに行けばいい。今年、はじめて区民農園を借りて、はじめてプランターでなくわずか5m四方程度の「農地」で農作業というものをしたが、自分にとっては、土とのつながりのスケールが、格段に大きくなる体験だった。


[1]辻信一『幸せって、なんだっけ』ソフトバンク新書、2008年、pp. 226-227
[2]同上 p. 230
 
Satish Kumar is an Indian activist and editor. He has been a Jain monk, nuclear disarmament advocate, pacifist, and is the current editor ofResurgence & Ecologistmagazine. He says. ”The road to happiness is connecting to soul, self, and society." For this connection, I guess we need to have a habit of being positive about these three.  For that, it should help by some ways of perceiving ourselves including  if we can remember that we have been part of the whole universe and an irreplaceable part of the it.   
  薩提斯·庫瑪印度社会运动家、和平朝圣者、学者教育家及精神导师。他9岁离家成为四处游荡的耆那教徒,18岁还俗,投入由圣雄甘地开创的印度土地改革及和平运动。1963年,他20岁,决定和一位朋友开展“和平朝圣”,由印度步行到世界四大核子武力中心,即莫斯科巴黎伦敦华盛顿。他们遵照导师指示,不带钱上路,并全程素食。靠着陌生人提供的食物和地方过夜,他们走完了超过8,000英哩的旅程,并向四个国家的领袖表达了反核的声音。自1973年起,他在英国德云郡定居,积极推动和平环保运动。他坚持认为,每一项政治及社会辩论的核心都必须是敬畏自然。(维基百科)他和大地,自己,社会连在一起就是到达幸福之路。”我想,为了实现这个,有最大关键性的是,学习尽量经常不忘肯定自己和其他一切的办法。
 
 

2012年8月25日土曜日

朝のすずしい風で幸せに Cool wind in the morning made me happy  早晨的凉风让我感到幸福

朝7時に起きて机にすわったら
網戸をとおった涼しい風が首のうしろをなでてくれた。
とてもきもちよかった。
風で幸せと思えるのははじめてだけれど、
幸せって、やっぱり、こんな僕でも、
感じようとすれば、感じれるんだなぁー。

2012年8月10日金曜日

まだまだ無意識(不在)になっている自分に気づきました。I noticed myself is still act unconsciously so often, which means I have some room to be happier. `我发现自己还是常常无意识地行动。这含义是我还有变更加幸福的余地。


きのう今日で、無意識にモノをおいて、どこにおいたかわからないことが2件発生しました。私は、とっても無意識に行動して自分の行動をおぼえていないことが多く、いつもケータイをどこかにおきざりにして、さがすのに苦労するのですが、それに輪をかけたことが連続でおきました。卓上塩の容器と家族が使おうと階段においていた黄色いポリ袋、持ったことはおぼえているけど、どこにおいたか、まったく記憶になく行方不明になって、探してもなかなか見つからなくなりました。ときどき自分の行動を見ていないのだということをあらためて思い知らされました。白隠さんは、「暫時不在」(暫時我を忘れる)ようでは生きているとはいえない、と言っていますが、私自身まだまだ不在になることばかり。つまり、これは幸せになる余地を示していると思いました。ただ、。一方で、何を食べようが、何で時間をつぶそうが、自分を責めずに、それをありがたく、肯定し、幸せを感じながらふりかえる、ことができるようになってきました。これは良かったと思います。レベルが低いから、伸びしろはけっこうあるぞ、ということですね。(笑)

2012年7月9日月曜日

違いへの意識から自由になると,劣等感も優越感から自由になれるような気がします。One of the clue for happiness may be realizing that we can care less about difference with other people or creatures, or things and become free from inferior or superior complex. 感到幸福的关键之一可能是更能摆脱对和别的人,生物,东西的差别感,和,优越感/自卑感。

 とっても、ひさしぶりに書きます。
 無差別、つまり、べつになにがまさっているとか、おとっているとか、考えなくていいとういう発想が、老荘思想や禅にもあるようです。絶対に、というきついので、だいたいと考えたいです。

無門関という本では、ある僧が雲門和尚に、仏とはどのようなものかとたずねたら、それは乾屎橛(かんしけつ)(?????)だよといったそうです。「すべてがそのまま仏であるという意味であろう。」
 これに対応するものとして、『荘子』知北遊篇で、東郭子(とうかくし)が荘子にたずねた。道はどこにあるかと。荘子は、「どこにだって、ないところはないさ」・・・・「屎(??)や溺(??)にだってあるさ」「物みな自然であるとき、それぞれが道であり、仏である。私意にもとづく人為によって求めようとするとき、かえって道は見失われ、仏は隠れる。これが両者に共通する思想であろう」[1]
 ましてや、自分やだれかとくらべて、だれがすぐれているとか、だれがおとっているとか、考える必要はないということです。これが幸せを感じられるカギのひとつのように思えます。
(?の部分は、ご想像におまかせします。(・x・))

[1] 森 三樹三郎『老子・荘子』講談社学術文庫、1994年、p.408-409

2011年4月28日木曜日

震災が教えてくれたこと What the earthquake taught me 地震教我的事

地震と原発事故は、ただ生きているだけで幸せであるということ、そして、そのほかのいろいろなことを教えてくれました。たとえば、地下鉄とかスーパーマーケットとか、いろいろなところで消された電灯がたくさんありますが、たいして支障がないものだなぁ、ということです。便利至上のライフスタイルの見直しが加速するかもしれません。
The earthquake and the nuclear disaster made me realize the happiness of being just living and many other things.  One the things I learned is that live happily with much less electricity.  Many of the lamps have been turned off in many places such as the subway stations, supermarket signs, etc., but it seems OK with most of the people.  Changes of our industrialized lifestyles may have been accelerated.  
地震和核事故,教我很多事。们还活着就是很幸福的事。它们并教我其他好多事。例如,很多电灯被关上的地方较多,例如或超市,但,看起来大多数人想没有什么问题。我们的方便第一的生活习惯可能开始加速地变化了。